耳鼻科と思い出
先日、風邪をひいて耳鼻科へといった。
中学生の頃からお世話になっている、近場の耳鼻科である。
開院時間ジャストの午前8時半に着いたにも関わらず、そこはすでに大勢の患者でごった返していた。
人の多さにびっくりしながら、私は受付簿に名前を書いた。
まさかの25番目。なかなかの繁盛っぷりだ。
8時半開院予定の15分前には開くとして、そこから20人以上がどんどこ入ってくる…想像すると、まるで遊園地の開園と同時に、人気のアトラクションにダッシュで並ぶ人だかりのようだ。
私は混雑する待合室の中で、何とかあいている椅子を見つけて座り、あたりを見回した。
そこで、小さい子どもたちが意外と多くいることに気が付いた。
彼らは皆一様に、せき込んでいるか鼻水を垂らしている。
(ああ・・・かわいそうに)
子どもたちを見て、私の中に同情の念がわいてきた。
耳鼻科に来る子どもたち…すべてとは言わないが、彼らの多くは中耳炎を患っている。
そして、中耳炎の患者は、状態が悪ければ鼓膜を切開することになる。
恐らくそれは、多くの子どもたちにとって人生最初の手術となるものだ。
もちろん、痛い。
予想通り、しばらくして、診察室の向こうから、「ギャー!」と火のついたような、喉を枯らさんばかりの子どもの泣き叫ぶ声が聞こえてきた。
身に覚えがあるだけに、その絶叫は私の胸に深くささった。
(君はよくがんばった)
親と一緒に手をつないで診察室から出てきた、涙で顔がぐちゃぐちゃになった見知らぬ子どもを、私は心の中でたたえた。
私も幼いころ、何度も風邪をひいては、必ずといっていいほど中耳炎をおこし、何度か鼓膜を切った。
鼓膜を切ることは、幼いころの私にとって注射よりも恐ろしいことだった。
注射は、刺さる瞬間がちゃんと目に見える。
怖いことに変わりないが、まだ視覚で認識できる分、「よし、これから注射を打たれるぞ。痛いけど泣かないぞ」と刺される直前に、痛みに対して腹を括ることができたのだ。
しかし、鼓膜の切開は当然ながら、見ることができない。
自分の見えない体の一部を切られる…
耳の中にそっと忍び込んでくる刃。
見えないから、どの瞬間に切られるかもわからない。
それだけで、恐怖は注射の倍だった。
そのあとも、順番がめぐってくるまで、私は何人かの子どもたちの悲痛な叫びを聞いた。
そのたびに、私は胸を抉られるような思いをしつつ、「がんばれ!」と心の中でエールを送り続けたのだった。
ちなみに、痛みなどはあったものの、今回は私の耳は無事だった。
そして、アレルギーのを抑える薬と風邪薬の処方箋をいただいて、薬局によってからのんびりおうちに帰ったのである。