日常小話① 「私とヴィーナスの腹」

 最近、インターネットで何かを検索していた折に、たまたまボッティチェリという画家の描いた「ヴィーナスの誕生」という絵を見つけた。

 海辺で巨大な貝殻に乗った女神ヴィーナスが、うふふと微笑みながら、掌と長い髪で恥部を隠して立っている。その左手から翼の生えた青年と、彼に抱かれた女性が舞い降り、更に右手から「早く何かを着せなきゃ!」ともう一人の女性が焦った様子で布を持って駆け付けている(ように私には見える)絵である。社会の教科書にもルネサンスの時代を代表する絵としてよく載せられているので、知っている人も多いと思う。

 そのヴィーナスを見て思い出したのが、一年前の自分の腹だった。

 当時、私は毎日がコンビニ弁当、更に仕事のストレスで食べまくるという、不摂生を極めたような生活をしていた。

 ある日、何気なく鏡で己の腹を見たとき、私はショックを受けた。そこには見事な、「ぼってり」としか表現しようのないほどに贅沢に肉が乗った腹の女が、魂の抜けた顔で茫然と仁王立ちしていたのである。

 ルネサンスを代表する画家には大変失礼だが、その時の私の腹は、まさに「ヴィーナスの誕生」で描かれた主役の女神の腹そのものだった。

 ボッティチェリの描いたヴィーナスは、全体的に丸みのある、肉づきのよい豊満な体つきをしている。

ヴィーナスは美の女神である。美の女神であるからには、ボッティチェリも当時の「女性の美の体現者」として、ヴィーナスをそのように描いたのに違いない。

 「私の顔はともかく、体は女神だったのか…」

 私は何だか複雑な気持ちになった。現代日本では明らかに、一年前の私は「太りすぎ」の体型なのだが、数百年前のヨーロッパでは女神の肉体を忠実に体現しているのだ。

 同じルネサンス時代の画家の絵をいくつか調べてみたが、マグダラのマリアなど、やはり女性は、むっちりとした豊かな肉体で描かれているものが多かった。

 もし私が、あの絵が描かれた時代のヨーロッパに生まれていたとしたら、痩せようなどとは微塵も思わなかっただろう。むしろ「やったー!モデル体型じゃないか!」と喜び、あのぼってり腹とむちりんとした体を維持したか、もうちょっと太ろうとしたに違いない。平凡なアジアンの女の顔がヨーロッパ人にどう受け取られるかはわからないが、ひょっとしたらモテモテだったかもしれない。

 私はしばし、ルネサンスの時代でモテモテの自分の妄想に浸ったのであった。

 結局、美の基準というのは時代や国とともに変化する、その時々のものでしかないのだろう。

 今の時代でも、エジプトでは、痩せている女性より太っている女性のほうがモテると聞く。

 そう考えると、美しさなんてその時々で違うんだから体つきなんてなんでもいいんじゃない、と思ったりもするのだが、やっぱり太るのは怖い。おいしいものを調子に乗って食べ過ぎてしまい、ちょっぴり後悔することも多々ある。

 そういう時は、ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」を思い出しては、「まあ、ヴィーナスになるんなら悪くないんじゃない?」と自分の心のうちをごまかすのであった。